2005年11月6日、SMエンターテインメントの故イ・スマン氏が仕掛けた壮大な実験がデビューした。最大13人という当時としては規格外の人数で構成されたSUPER JUNIOR(通称SJ)だ。歌唱、演技、バラエティ、モデル、作曲――各メンバーが異なる分野のトップを目指すというコンセプトのもと結成されたこのグループは、2009年の《Sorry, Sorry》で国際的なブレイクを果たし、東方神起・BoAと並んで韓流拡散の象徴的存在となった。デビューから20年、脱退や兵役、契約トラブルを乗り越えて活動を続ける彼らの歴史をたどる。
1. 2005年デビュー ― 13人組という規格外の実験
SUPER JUNIORはイ・トゥク、ヒチョル、イェソン、シンドン、ウニョク、トンヘ、シウォン、リョウク、ハンギョン、カンイン、キボム、ソンミンの12人でデビューし、2006年にキュヒョンが加入して最大13人体制となった。「スーパーな才能を持つ次世代(Junior)」という意味を込めて命名されたこのグループは、当初から中華圏市場を視野に入れた展開を行っており、中国出身のハンギョンをメンバーに加えるなど、後のK-POPグローバル戦略の先駆けとなった。
2. 2009年「Sorry, Sorry」現象 ― 韓流を塗り替えたヒット曲
2009年3月発表の《Sorry, Sorry》は、中毒性の高い振り付けとメロディーで爆発的なヒットとなり、アジア各国のチャートを席巻した。この曲によってSUPER JUNIORは名実ともに国際的なグループへと成長し、「SJ funky」と呼ばれる独自のダンスミュージック路線を確立した。この路線は後の《Bonamana》《Mr. Simple》へと受け継がれていく。
3. 相次ぐ脱退と契約トラブル
順調に見えた活動の裏で、SUPER JUNIORは幾度もメンバーの脱退を経験している。中でも大きな波紋を呼んだのが、中国出身のハンギョンをめぐる2009年の専属契約無効訴訟だ。ハンギョンは中国国内でのCM出演が土壇場で他メンバーに差し替えられたり、現地での放送出演が決まっていたにもかかわらず突然の帰国を指示され活動が不発に終わったりするなど、個人活動が度々制約を受けていたと伝えられる。契約内容そのものが不公正だとして提訴に踏み切り、そのままグループを脱退して中国に戻り、俳優・歌手として活動の場を移した。この訴訟は同時期に起きた東方神起メンバー3人(ジェジュン・ユチョン・ジュンス)の訴訟と並び、SMエンターテインメントの契約政策そのものを見直させる転機となった。実際にこれ以降、SM所属アーティストの専属契約期間はデビュー日から7年に短縮され、違約金の算定方法も直近2年間の月平均売上額に契約残存期間の月数を掛け合わせる方式に改められている。一方、カンインをめぐる不祥事はより深刻だった。2009年9月、飲食店で酔客に絡まれたことをきっかけに暴行事件に巻き込まれたのを皮切りに、その翌月の10月には飲酒運転でタクシーに追突し、そのまま現場から逃走するひき逃げ事故を起こして書類送検された。活動休止と兵役を経て復帰したものの、2016年にも再び飲酒運転で摘発され、世論の批判は決定的なものとなった。2019年、カンインは本人の意思として正式にグループを脱退している。また、キボムは俳優活動を優先する形で2009年頃から事実上グループを離れ、長期休養のまま復帰することはなかった。さらにソンミンは2014年の結婚をめぐりファンとの間に深い亀裂が生まれ、以降グループ活動に参加していない。13人でスタートしたSUPER JUNIORが、脱退・休養・事件を経て現在の9人体制に落ち着くまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。
ファンが愛してやまない「ケンカ伝説」― 仁川大捷(インチョンデチョプ)
SUPER JUNIORを語るうえで欠かせないのが、メンバー同士の「ケンカ伝説(싸움썰)」だ。13人もの個性の強い男たちが同じ宿舎で暮らし、同じステージに立てば衝突は避けられない。しかしSUPER JUNIORの面白いところは、そうした衝突を隠すのではなく、本人たちが後年バラエティ番組で笑い話として語り、ファンもそれを一種の「名物」として楽しんでいる点にある。中でも最も有名なのが、2010年8月29日に仁川文学(インチョン・ムナク)競技場で開かれた「仁川韓流コンサート」の楽屋で起きた、リーダー・イトゥクとヒチョルの大ゲンカ、通称「仁川大捷(인천대첩)」だ。
イトゥクとヒチョルは同い年(1983年生まれ)で練習生時代は一緒にクラブに遊びに行くほど仲が良かったが、デビュー後は状況が変わった。ヒチョルがKBSの青春ドラマ『반올림(パノルリム)』などの俳優活動で多忙になる一方、イトゥクはリーダーとしてチームをまとめる役目を背負い続け、自由奔放なヒチョルへの不満を10年近く溜め込んでいたという。そして仁川公演の日、ついに感情が爆発する。楽屋でイトゥクがヒチョルの背中を押しながら放った一言が「10年だ(10년이다)」。この言葉は今もファンの間で語り草になっている。向かいの楽屋にいたSE7ENやBIGBANGのSOLが物音に気づいて扉を開けると、2人が怒鳴り合っている真っ最中で、居合わせたアーティストたちは「今日SUPER JUNIORは解散するのか」と本気で心配したと伝えられる。
この事件の「決定的証拠」として今もファンの間で繰り返し見返されているのが、ケンカ直後にそのまま立った本番のステージ映像だ。この日披露した《미인아(ミイナ=Bonamana)》の振り付けには、本来イトゥクとヒチョルが背中合わせに立つパートがあるのだが、2人は背中を合わせるどころか2歩分ほど距離を取ったまま踊っていた。ケンカの直後ということを知ったうえで見返すと、その微妙な間合いがなんとも生々しく、この「仁川大捷直後のライブ映像」はSUPER JUNIORファンにとってある種の伝説的映像となっている。イトゥク本人も後年、この日のステージについて「ケンカのあとで気まずいまま歌った、笑えるようで笑えない舞台だった」と振り返っている。
興味深いのは、この事件の「真相」が今もアップデートされ続けていることだ。2026年7月、BIGBANGのD-LITEが運営するYouTubeチャンネル『집대성(チプデソン)』に、目撃者であるSE7ENが出演し「実際には肌への接触は全くなく、空中でパンチを振っていただけ。大捷(大勝利)ではなく小捷(小競り合い)と呼ぶべきだ」と暴露。これを受けて同月17日、当事者のイトゥクとヒチョルが同チャンネルに揃って出演し、「一度は本気でケンカしなければならなかった」「あの日は友達を失った気分で泣いた」と、16年越しに事件の全貌を語り合った。宿敵のように語られてきた2人が並んで笑いながら当時を振り返る姿は、ファンにとって最高の「答え合わせ」となった。
仁川大捷だけではない ― 数々のケンカ伝説
SUPER JUNIORのケンカ伝説は仁川大捷にとどまらない。2025年7月、SBS『ランニングマン』15周年特集に出演したイトゥク・ウニョク・キュヒョンは、収録場所となったSBS公開ホールに到着するなり「ここは僕たちがケンカした楽屋だ」と告白。ウニョクは「正確にはケンカではなく、この兄さん(イトゥク)が手を出した場所」「僕は何もせずじっとしていたのに『お前だろ?』の一言で後頭部を叩かれた」と暴露し、当時ネット上で「ウニョク いじめ」という検索ワードが1位になった事件の裏側を語って笑いを誘った。
また、シンドンとイェソンの口ゲンカも有名だ。ダイエット中だったシンドンが音楽番組『人気歌謡』の収録現場で夜遅くサンドイッチを食べていたところ、イェソンが放った「また食べるの?」の一言が引き金となり口論に発展したという。2026年7月放送の『チョン・ヒョンム計画4』ではシンドンが「グループ内のケンカ序列」を公開し、テコンドー経験があり俳優活動でボクシングも学んだシウォンを1位、自身を2〜3位、筋肉質でボクシングをしているドンヘを上位に挙げる一方、「最弱は間違いなくリョウク。猫パンチでつねったり噛んだりして戦うタイプ」と評してスタジオを沸かせた。こうした逸話が次々と「公式に」語られ、しかも本人たちが楽しそうに話すからこそ、SUPER JUNIORの「不仲説」は結果的にグループの魅力として消費され続けているのだ。
「自信ある!(자신있어)」― ケンカから生まれた流行語が、まさかの広告に
SUPER JUNIORのケンカ伝説の中でも、最も「おいしい」形で昇華されたのがリョウクとシウォンの一件だ。きっかけは些細なハイタッチをめぐる行き違いだったとされるが、メンバーの中でシウォンとケンカしたことがあるのはリョウクただ一人という珍しい組み合わせで、当時イェソンが「(体格差で)リョウクが死ぬんじゃないかと心配した」と語るほどの緊迫した場面だったという。ケンカの終盤、シウォンがリョウクに「お前、俺と二度と会わない自信あるのか?」と問い詰めると、リョウクは大声で「自信ある!!自信ある!!!(자신있어!! 자신있어!!!)」と叫び返した。ところが2016年1月放送の『ラジオスター』でリョウク本人が明かしたところによると、あれは自信満々に叫んだのではなく、シウォンの迫力が怖くて、怯えているのを隠すために泣きそうになりながら大声を張り上げただけだったのだという。
この「자신있어!」はファンの間で瞬く間に有名になり、バラエティ番組で「自信ある!ゲーム」が生まれるほどの流行語となった。そして極めつけは、当事者のリョウクがこのフレーズをそのまま引っさげて、証券会社「ミレアセット証券」の単独CMに起用されたことだ。「ミレアセット証券と一緒なら自信ある↗↗↗」というキャッチコピーで、かつて泣きながら叫んだ言葉が堂々とテレビCMのセリフになり、第2弾では「この広告を見ない自信あるのか?」と、ケンカ当時のシウォンのセリフまで丸ごとパロディにしてしまった。メンバー同士のケンカが、10年以上経って本人の広告出演という形で回収されるという展開は、SUPER JUNIORならではの「ケンカすら商品にしてしまう」しぶとさを象徴するエピソードといえる。
4. 「軍白期」― 兵役の壁を越えて
13人という大所帯ゆえに、SUPER JUNIORは長期にわたり「軍白期(メンバーが順次兵役に就くことで完全体活動ができない期間)」を経験したグループとしても知られる。メンバーが入れ替わり立ち替わり入隊・除隊を繰り返す中、完全体でのカムバックは長らく実現しなかったが、2019年に全メンバーの兵役が完了し、ようやく新たな体制でのスタートを切ることができた。
個々の活動という土台
13人という大所帯を長く維持できた理由のひとつが、メンバー各自の多方面での活躍だ。リーダーのイ・トゥクは音楽番組やラジオのMCとしてバラエティ色の強いキャリアを築き、シンドンもラジオDJやバラエティ番組の常連として存在感を発揮している。キュヒョンは2010年のミュージカル『三銃士』でダルタニャン役、2012年には『Catch Me If You Can』にも出演するなどミュージカル俳優としても評価され、トンヘ・ウニョクは日本でユニット活動を行うなど、グループの枠を超えた個人単位の活動が積み重ねられてきた。こうした「一人ひとりが別の分野のトップを目指す」という結成当初のコンセプトが、20年にわたる大所帯運営を支える現実的な仕組みとして機能してきたといえる。
5. デビュー20周年 ― 「Super Junior25」で見せた健在ぶり
2025年7月8日、SUPER JUNIORはデビュー20周年を記念して正規12集《Super Junior25》を発表した。タイトル曲《Express Mode》を含むこのアルバムは、アイチューンズ・トップアルバムチャートで17地域1位を獲得し、初動販売量はグループ自己最高記録となる30万9959枚を記録した。デビューから20年を経てなお現役感を証明する結果となった。
まとめ
主な楽曲プレイリスト
「SJ funky」路線を築いた代表曲の数々を映像で振り返る。
13人という規格外の編成から始まり、脱退・不祥事・軍白期という数々の試練を乗り越えてきたSUPER JUNIOR。《Sorry, Sorry》が塗り替えた韓流の地図の上で、20年目を迎えた今もなお第一線に立ち続ける彼らの歩みは、K-POPグループの「長寿」のあり方そのものを体現している。

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