Wonder Girlsとは? ― 「Tell Meシンドローム」から韓国初のビルボード進入、そして解散までの10年

2007年2月、JYPエンターテインメントのパク・ジニョンがプロデュースするガールズグループがデビューした。Wonder Girls(원더걸스)だ。レトロなコンセプトと中毒性の高い振り付けで韓国歌謡界に新しい風を吹き込んだこのグループは、後に韓国アイドルとして初めてビルボードチャートに進入するという歴史的な記録を打ち立てる。しかし華やかな記録の裏で、メンバー交代と解散という結末も迎えている。

1. 2007年デビュー ― 「Tell Meシンドローム」

Wonder Girlsはイェウン・ソンイェ・ソンミ・ヒョナ・ソヒの5人でデビューし、ヒョナの脱退後にユビンが加入した編成でファーストアルバム《The Wonder Years》を発表した。2007年9月発表の《Tell Me》は、80年代風のレトロなサウンドと中毒性の高い振り付けで社会現象を巻き起こし、「Tell Meシンドローム」と呼ばれるほどの大流行となった。当時普及し始めたYouTubeを通じて世界中に拡散した初期のK-POPヒットとしても知られている。 忘れてはならないのは、当時のWonder Girlsが同年8月にデビューしたばかりの少女時代と真っ向から比較される「ライバル」であり、しかもこの時点では明らかにWonder Girlsのほうが優勢だったという事実だ。少女時代がデビュー曲《Into the New World》や《Kissing You》で徐々に知名度を上げている間に、Wonder Girlsは《Tell Me》《So Hot》《Nobody》と国民的ヒットを立て続けに放ち、2008年にはソウル歌謡大賞やゴールデンディスク賞で大賞(その年の最高賞)を獲得。「国民のガールズグループ」の座は完全にWonder Girlsのものだった。

ちなみに《Tell Me》には、脱退したヒョナが出演する「幻のバージョン」が存在する。ヒョナが脱退したのは2007年7月30日、アルバム発売はその2ヶ月後の9月で、彼女はすでに《Tell Me》のレコーディングとMV撮影を終えていた。当初のMVでヒロインの「ワンダーウーマン」役として白いベスト姿でセンターに立ち、ソロダンスのパートも担っていたのはヒョナだったが、脱退によりソヒをヒロインに据えて撮り直され、ユビンのラップパートが新たに追加された。この撮り直し前の映像は後にネット上に流出し、今もファンの間で語り草になっている。文字通り「発売直前」までメンバーだったヒョナのその後については、別記事で詳しく取り上げる。

2. 韓国初のビルボード進入 ― 「Nobody」とアメリカ進出

2008年発表の《Nobody》は韓国国内で圧倒的なヒットとなり、2009年には英語版がアメリカでシングルとしてリリースされた。この英語版《Nobody》はビルボードHot100で76位を記録し、韓国のアーティストとして史上初めて同チャートに進入するという快挙を成し遂げた。同年にはジョナス・ブラザーズの北米ツアーの前座として、40万人の観客の前で13公演をこなすという貴重な機会を得たが、その裏側は決して華やかなだけではなかった。ツアーバスでの移動生活ではベッドが足りずユビンがソファで寝るしかない日もあり、真夏の炎天下で野外ステージの上、地面に座り込んで観客に《Nobody》の振り付けを教えたり、スニーカーにサインをして回ったりする様子がポータルサイトの検索ワードで「Wonder Girls屈辱」と呼ばれるほど話題になったこともある。それでもこの地道な活動が、後のK-POPグループがアメリカ市場に本格進出する際の重要な先例として位置づけられている。

米国進出という「賭け」の代償 ― 少女時代に奪われた王座

しかしこの米国進出こそが、結果的にWonder Girlsの運命を大きく狂わせることになる。《Nobody》で国内人気が頂点に達していた2009年、パク・ジニョンは韓国での活動を事実上止め、メンバーをニューヨークに移住させてアメリカ市場に全力を注ぐ決断を下した。まさにその同じ2009年1月、少女時代が《Gee》を発表する。音楽番組9週連続1位という前例のない記録を打ち立て、続く《소원을 말해봐(Genie)》も大ヒット。Wonder Girlsが不在の間に、韓国国内の「国民のガールズグループ」という玉座は完全に少女時代のものとなった。Wonder Girlsが2010年に《2 Different Tears》で一時帰国した頃には、市場の空気はすっかり変わっており、かつての圧倒的な存在感を取り戻すことはできなかった。

皮肉なのは、当時のアメリカ市場にはまだK-POPを受け入れる土壌がほとんどなく、ジョナス・ブラザーズの前座や地道なプロモーションを重ねても、ビルボード76位という「記録」以上の成果にはつながらなかったことだ。いわば韓国での王座を捨てて挑んだ市場で報われず、戻ってきたときには韓国での王座もなくなっていた。当時最強だったグループが、あまりにも早すぎた海外挑戦によって失速していった経緯は、K-POP史でも屈指の「たられば」として今も語られている。後にBTSやBLACKPINKがアメリカ市場を席巻するのを見て、「Wonder Girlsが10年遅く生まれていれば」と惜しむ声が絶えないのはそのためだ。

3. メンバー交代とグループの停滞

アメリカ進出中心の活動が続く中、2010年にはソヒが、2013年にはソンイェとヒョリムがそれぞれグループを離れ、俳優業や個人の道を選んでいった。一方でソンミは2010年に一時脱退した後、2015年に復帰するという珍しい経歴を辿っている。相次ぐメンバー交代により、グループとしての活動は徐々に停滞していった。

4. 2017年、解散

2017年1月26日、JYPエンターテインメントはWonder Girlsの解散を発表した。特定の事件がきっかけというよりも、メンバー個々の方向性の違いや活動環境の変化が積み重なった結果だった。解散当時のメンバーはソンミ・ユビン・イェウン・ヒョリムの4人。ユビンはJYPとの契約を継続し、ソンミはメイクアス・エンターテインメント(現ABYSSカンパニー)に移籍してソロ活動を本格化させた。

解散後のメンバーたち ― それぞれの現在

解散から約9年が経った今も、メンバーそれぞれの活躍が続いている。ソンミは2010年に一度健康上の理由で活動を休止したが、ソロ復帰後に発表した《24時間が足りない(24시간이 모자라)》が大ヒットし、実力派ソロアーティストとしての地位を確立。2026年も大型音楽フェスティバル「ウォーターボム・ソウル」への出演が決まるなど、現在も第一線で活動を続けている。ユビンはJYPエンターテインメントに残り、歌手活動に加えバラエティ番組でも幅広く活躍。ソヒは女優として『新感染半島 ファイナル・ステージ』(『新感染 ファイナル・エクスプレス』の続編)などの映画に出演し、演技の道で新たなキャリアを築いている。グループとしては解散していても、メンバー個々の活躍がWonder Girlsというブランドの記憶を今もつなぎ続けている。

まとめ

主な楽曲プレイリスト

レトロなコンセプトで一時代を築いた代表曲の数々を映像で振り返る。

「Tell Meシンドローム」で韓国歌謡界を席巻し、《Nobody》で韓国アーティスト初のビルボード進入という記録を打ち立てたWonder Girls。10年の活動に幕を下ろした今も、彼女たちが切り開いたK-POPの海外進出という道は、後続のグループたちに確かな地図として受け継がれている。

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