2PMのジェイ・パク(パク・ジェボム)はなぜ追放されたのか ― MySpace事件から「韓国で最も成功した追放者」になるまで

2009年9月、韓国のトップアイドルグループ2PMのリーダーが、たった数日でグループを去り、故郷シアトルへ帰った。パク・ジェボム、英語名ジェイ・パク(Jay Park)。原因は、彼が17歳だった頃にMySpaceに書き込んだ数行の私信だった。事件から17年が経った今、彼はヒップホップレーベルの創業者、JAY-Zと契約した初のアジア系アメリカ人アーティスト、そして自らの名前を冠した焼酎ブランドの成功者として、追放したはずのK-POP業界の頂点に立っている。K-POP史上最も劇的な「追放と逆転」の物語をたどる。

1. 2PMのリーダー、パク・ジェボム ― 「獣ドル」の顔

パク・ジェボムは1987年、韓国系アメリカ人としてシアトルに生まれた。地元のb-boyクルー「Art of Movement(AOM)」でストリートダンスに明け暮れていた少年は、2004年、JYPエンターテインメントのアメリカオーディションに合格して韓国へ渡る。韓国語もろくに話せない17歳の練習生生活は決して楽なものではなかったが、2008年9月、2PMのリーダーとしてデビューを果たす。デビュー曲《10点満点に10点(10점 만점에 10점)》はアクロバティックなダンスで話題を呼び、2PMは「獣ドル(짐승돌=野性的なアイドル)」という新しいジャンルを切り開いた。

2009年4月発表の《Again & Again》で2PMは音楽番組1位を獲得し、名実ともにトップグループへ躍り出る。パク・ジェボムは端正なルックスと高いダンススキルでグループの顔として人気を集め、2009年前半はまさに彼のキャリアの絶頂期だった。しかしその絶頂は、わずか数ヶ月しか続かなかった。

2. 2009年9月 ― MySpace事件

2009年9月4日、韓国のネット上に、パク・ジェボムが2005年から2007年にかけてMySpaceで友人に送ったメッセージが流出した。「korea is gay… i hate koreans(韓国はダサい…韓国人が嫌いだ)」「Korea is whack(韓国はクソだ)」。書いたのは韓国に来て数ヶ月しか経っていない17歳の少年で、英語のスラングとして「gay」は「ダサい・つまらない」程度の軽い意味で使われることも多い。異国で言葉も通じず、ホームシックと厳しい練習生生活に押しつぶされそうだった少年の愚痴、というのが実態に近かった。しかし韓国のネット世論はそうは受け取らなかった。「韓国のファンの金で食べている人間が韓国を侮辱した」という怒りは瞬く間に燃え広がり、パク・ジェボムは「数年前にMySpaceで書いたコメントについて謝罪します」と頭を下げたが、火は消えなかった。

事件発覚からわずか4日後の9月8日、パク・ジェボムは2PMからの脱退を発表し、そのままシアトルへ帰国した。空港には多くのファンが詰めかけ、泣きながら見送った。デビューからちょうど1年。トップアイドルのリーダーが、あまりにも唐突にステージから消えた瞬間だった。

3. ファンが動いた ― 2000人のデモと献血証書

この事件が特異だったのは、その後のファンの行動だ。ジェイ・パクの復帰を求めるファンたちは、2PMの活動ボイコット、沈黙デモ、フラッシュモブ、JYP社屋前への復帰要請メッセージの掲示、新聞への意見広告掲載といった直接行動に加え、献血証書の寄付、ハイチ地震の緊急救援金支援、欠食児童への寄付といった「善行」を積み重ねることで復帰への世論を作ろうとした。当初小規模だったデモは次第に膨れ上がり、最終的には2000人規模の集会にまで発展する。K-POPの歴史上、脱退したメンバーの復帰を求めてここまで組織的に動いたファンダムは前例がなかった。

実際、JYP側も2009年11月頃にはパク・ジェボムに復帰を提案し、2010年2月第3週に帰国・記者会見、3月に7人体制での活動再開という具体的なスケジュールまで固まっていたと伝えられる。ファンの努力が実を結ぶかに見えた。

4. 2010年2月25日 ― 「永久脱退」の宣告

しかし2010年2月25日、JYPエンターテインメントは「パク・ジェボムが当社所属芸能人としてこれ以上適切ではないと判断し、専属契約を解除、2PMを永久脱退した」と発表した。理由として挙げられたのは「MySpace事件よりも重大な、個人的な過ち」。しかしその「過ち」が何なのかは一切明かされなかった。パク・ジンヨンは後に「本人と話し合い、本人が自ら望んだことでもある」と説明したが、詳細が伏せられたまま「永久脱退」という重い言葉だけが独り歩きし、ファンダムは真っ二つに割れた。残った6人のメンバーがファンとの懇談会で「ジェボムを許せない」という趣旨の発言をしたことがさらに火に油を注ぎ、2PMのファンダム「Hottest」はこの事件を境に深い分裂を経験する。「何が起きたのか」は今日に至るまで公式には明かされておらず、K-POP史に残る最大級の未解決のミステリーの一つとなっている。

この「明かされない過ち」をめぐって最も根強く語られている説が、JYP特有の厳格な「品行規定」に関わるものだ。パク・ジニョンは以前からインタビューで、自分を含むJYPの男性社員全員に対し、女性の接客を伴う飲み屋への出入りを禁止し、違反すれば即時解雇にすると公言してきた。若い頃に人脈作りと称してゴルフ場やルームサロンに通っていた自分が情けなかったから、というのがその理由だ。この方針は練習生にも徹底されており、練習生の身分でクラブ通い、飲酒、賭博、飲酒運転、異性問題などを起こせば、どれほど有望でも契約解除に至るとされる。実際にJYPでは、こうした品行規定に触れたことで名前が世に出る前にひっそりと消えていった練習生が少なくないと言われている。「真実・誠実・謙遜」をアーティストの3大条件に掲げ、人脈より実力を積めと説くパク・ジニョンにとって、品行は歌唱力やダンス以上に譲れない一線だった。

そこから派生したのが、「パク・ジェボムの脱退理由もその類だったのではないか」という推測だ。シアトル育ちのb-boyで、韓国のアイドルとしての振る舞いに馴染めていなかった彼が、MySpace事件以前から社内の品行規定に抵触するような行動を取っていたのではないか、それが「MySpace事件よりも重大な個人的な過ち」の正体ではないか、というものだ。もちろんこれは公式に確認されたことではなく、あくまでファンや業界周辺で語られてきた憶測の域を出ない。ただ、JYPがあれほど頑なに理由を伏せ続けたこと、そして「本人も望んだ」と説明したことは、単なるネット上の失言以上の何かがあったと受け止められる余地を残した。

5. シアトルからの逆襲 ― YouTubeが開いた扉

韓国から事実上「追放」されたパク・ジェボムは、シアトルでタイヤ店で働きながら地元のb-boyクルーに戻った。転機は2010年3月、彼がYouTubeに投稿したB.o.Bの《Nothin’ on You》のカバー動画だった。動画は数日で数百万回再生され、韓国語版まで制作されるほどの反響を呼ぶ。この動画は、韓国メディアに「追放されたはずの男」がまだ圧倒的な支持を持っていることを示す証拠となり、同年韓国映画『ハイプネイション』の主演として彼はついに韓国に戻ってくる。2011年のアルバム『New Breed』、そして2013年の《좋아(JOAH=好き)》で、彼はアイドルではなくヒップホップ/R&Bアーティストとして完全に生まれ変わった。

6. AOMG、そしてJAY-Zとの契約

2013年、パク・ジェボムは自らのレーベルAOMG(Above Ordinary Music Group)を設立する。Simon Dominic、GRAY、Locoといった実力派を次々と迎え入れたAOMGは、韓国ヒップホップシーンで最も影響力のあるレーベルの一つへと成長した。2015年発表の《몸매(MOMMAE)》はクラブヒットとしてYouTubeで彼の最大の再生数を記録し、2016年の《All I Wanna Do》はアメリカでのツアーにも繋がった。そして2017年7月、JAY-Zが率いるRoc Nationとの契約が発表される。アジア系アメリカ人アーティストとしては史上初の快挙で、パク・ジェボム自身「これはアジア系アメリカ人全体の勝利だ」と語った。同年には第2のレーベルH1GHR MUSICも設立し、韓国とアメリカを繋ぐハブとしての存在感を確立していく。

「俺の昔の先生」― パク・ジニョンへのディス曲

追放から6年後の2015年11月、パク・ジェボムは正規アルバム『WORLDWIDE』を発表する。その中に収録された《병신(F*CKBOY)》という曲が、韓国のネット上で「パク・ジニョンへのディス曲ではないか」と大きな話題になった。歌詞には「俺の昔の先生(쌤)は、俺たちが同じ(same same)になるのが怖くて今嫉妬している」「お前はファン商売をしている放送タレント、俺を邪魔しても俺は直進する」「〇〇歌謡祭に出演が決まりかけていたのに、あのおじさん(꼰대)がいい年して幼稚なことばかり」といった表現が並び、当時パク・ジェボムが人気番組の歌謡祭に出演する話が立ち消えになったこととも重ねて受け止められた。

パク・ジェボム側は「ディスかどうかは聴いた人が判断すること。本人の意図を直接確認するのは難しい」とコメントし、一方のパク・ジニョンは「立場がないのが立場」とだけ答えて、正面から反応することを避けた。肯定も否定もしないその態度が、かえって「図星だったのでは」という受け止めを広げることになる。理由も告げられずに切り捨てられた元練習生が、自分のレーベルを築いた上で、かつての「先生」に真正面から言葉を投げつけた。この曲は、パク・ジェボムが二度とJYPの元へ戻るつもりはないという、ある種の決別宣言でもあった。

7. 焼酎ブランドとMORE VISION ― 実業家としての現在

2022年、パク・ジェボムはAOMGとH1GHR MUSICの代表を退き、新たな会社MORE VISIONを設立した。その第1弾シングルとして発表されたのがIUをフィーチャーした《GANADARA》で、IUとの連絡がつかず段ボール製の等身大パネルと踊るというコミカルなMVが大きな話題となった。同じ2022年に立ち上げた焼酎ブランド「WON SOJU(원소주)」は「パク・ジェボムの焼酎」として20〜30代を中心に爆発的な人気を集め、発売直後から品薄が続くほどの社会現象となった。アイドル、ラッパー、レーベル経営者に続く「実業家」としての顔で、彼は再び韓国社会の注目を集めたのである。

2025年秋には、MORE VISION初のボーイズグループ「LNGSHOT(ロングショット)」を大学祭のステージでお披露目し、2026年に正式デビューさせた。かつて「韓国が嫌いだ」と書いた17歳の少年は、今や韓国で自らアイドルをプロデュースする側に立っている。

まとめ

パク・ジェボムの物語は、K-POPというシステムの残酷さと、そこから抜け出した先にある可能性の両方を象徴している。17歳の私信が原因でトップアイドルの座を失い、理由も明かされないまま「永久脱退」を宣告された男が、YouTube一本でシアトルから這い上がり、自分のレーベルを作り、JAY-Zと契約し、焼酎で社会現象を起こし、今度は自分がアイドルを世に送り出す。「韓国で最も成功した追放者」。彼を表す言葉として、これ以上にふさわしいものはないだろう。

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