2007年2月、Wonder Girlsはデビュー曲《Irony》のMVで、ひとりの少女をセンターに据えて世に送り出した。当時わずか14歳のヒョナ(현아、キム・ヒョナ)だ。しかしその5ヶ月後の7月、ヒョナは突然グループを離れ、その直後の9月にWonder Girlsは《Tell Me》で国民的グループへと駆け上がる。「なぜヒョナだけが、あと一歩のところで降ろされたのか」。公式発表では語られなかった噂と、その後の彼女が歩んだ驚くべき逆転劇をたどる。
1. 《Irony》のセンターだった少女
ヒョナはWonder Girlsの初期メンバーとして、2007年2月13日発表のデビュー曲《Irony》に参加した。パク・ジニョンが作詞作曲したこの曲のMVで、ヒョナはソヒ・イェウン・ソンイェ・ソンミと並び、むしろ最も目立つポジションで踊っている。当時からダンススキルは群を抜いており、JYPが彼女をグループの「顔」の一人として押し出そうとしていたことは明らかだった。しかし彼女がWonder Girlsとして活動した楽曲は、結局この1曲だけで終わることになる。
2. 2007年7月30日 ― 「健康上の理由」による脱退
2007年7月30日、JYPエンターテインメントはヒョナがWonder Girlsを脱退し、専属契約を解除したと発表した。公式に説明された理由は「活動中の習慣性腸炎など健康上の問題」だった。実際にヒョナは慢性的な腸炎を抱えており、活動中に3度も脱水症状で倒れて病院に運ばれ、たびたびスケジュールを欠席していたという。娘の健康を心配した両親が「歌手活動をやめて治療に専念させたい」と申し入れ、事務所もこれを受け入れて正式に脱退が決まった、というのが公式のストーリーだ。
《Tell Me》のMVまで撮り終えていた ― 「あと2ヶ月」の差
ヒョナの脱退がこれほど「惜しい」と語られる最大の理由は、そのタイミングにある。彼女が脱退したのは2007年7月30日。Wonder Girlsを国民的グループに押し上げた《Tell Me》を収録したアルバム『The Wonder Years』の発売は同年9月で、その差はわずか2ヶ月だった。しかも重要なのは、ヒョナはすでに《Tell Me》のレコーディングを終え、MVの撮影まで完了していたという事実だ。当初のMVでヒロインの「ワンダーウーマン」役を務めていたのはヒョナで、白いベストを着てセンターに立ち、ソロダンスのパートまで用意されていた。しかし脱退が決まったことでMVはソヒをヒロインに据えて撮り直され、ヒョナのソロダンスはソヒに、そして加入したユビンのためにラップパートが新たに追加された。この「ヒョナ版《Tell Me》」の撮影映像は後にネット上に流出し、今もファンの間で「幻のバージョン」として繰り返し見返されている。
アルバム『The Wonder Years』には、差し替えが間に合わなかったためヒョナの歌声がそのまま残っている楽曲もあり、彼女が文字通り「発売直前」までメンバーだったことを物語っている。あと2ヶ月耐えていれば、あるいはあと2ヶ月脱退が遅れていれば、《Tell Me》シンドロームの中心にいたのはヒョナだったかもしれない。この「もし」があまりにも大きすぎるからこそ、彼女の脱退理由をめぐる議論は今日まで終わらないのである。
3. 「本当は追い出されたのでは」― 消えない噂
しかし当時から、この「健康上の理由」を額面通りに受け取らない声は多かった。理由はいくつかある。第一に、ヒョナがスケジュールを欠席しがちだった時期から、ファンの間ではすでに「メンバー交代説」が囁かれていたこと。第二に、事務所自身が「メンバー交代について議論したのは事実で、健康上の理由で問題があった」と、交代の検討を認める発言をしていたこと。つまり「本人が望んで辞めた」のではなく「事務所側が交代を先に決め、健康問題はその表向きの理由に使われたのではないか」という見方だ。MVまで撮り終えたセンターの少女を、デビューから半年で外すという判断の裏に何があったのかは、今日に至るまで公式には語られていない。
さらに2011年、パク・ジニョンはインタビューでソンミとヒョナの脱退について問われ「明確な理由を明かすのは難しい」と口を濁した。この発言は、公式発表の「健康上の理由」だけでは説明しきれない何かがあったことを事務所自らが認めたようなものとして、噂に再び火をつけることになる。当時14〜15歳だったヒョナ本人は、後年「Wonder Girlsが《Tell Me》で爆発的に売れていくのを見て、あの年齢で受け止めるにはあまりに重すぎた」と語っている。
噂の中には、JYPという事務所の体質に根ざしたものもある。パク・ジニョンはかねてから、自分を含む男性社員全員に女性の接客を伴う飲み屋への出入りを禁じ、違反すれば即時解雇と公言してきた人物だ。練習生に対しても品行規定は厳格で、クラブ通い、飲酒、賭博、異性問題といった行動が発覚すれば、どれほど有望な練習生でも契約解除に至るとされ、実際にそうした理由で表舞台に出る前に消えていった練習生は少なくないといわれる。この「JYPは品行に触れた練習生を容赦なく切る」という周知の体質が、「ヒョナも本当は健康ではなく、品行規定に関わる何かが理由だったのではないか」という憶測を生む土壌になった。同じJYPで2010年に理由を伏せたまま「永久脱退」となった2PMのパク・ジェボムのケースと重ねて語られることも多い。ただし当時ヒョナは14〜15歳で、こうした説はあくまで根拠のない憶測に過ぎず、公式に確認されたものは何一つない。それでも「健康上の理由」という一言だけで片づけるには、あまりに不自然なタイミングでの脱退だったことが、こうした噂を今日まで生き残らせている。
4. 引退宣言、38kgまで落ちた体重
脱退後のヒョナは、うつ病と心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだと本人が明かしている。自分が抜けた直後にWonder Girlsが国民的グループになっていく姿を目の当たりにし、体重は38kgまで落ち、一時は歌手業からの引退を宣言するほどだった。「自分だけが取り残された」という感覚は、10代半ばの少女にとってあまりにも過酷なものだった。
5. 4Minuteでの再デビュー ― 元JYP社長が差し伸べた手
転機をもたらしたのは、かつてJYPエンターテインメントの社長を務め、独立してCube Entertainmentを設立したホン・スンソンだった。JYP時代のヒョナを知る彼は、彼女を新レーベルの1期生として迎え入れ、2009年6月、5人組ガールズグループ4Minuteの一員として再デビューさせる。デビュー曲《Hot Issue》はその名の通り「話題」となり、Wonder Girls脱退から2年、ヒョナは再びステージに戻ってきた。しかも今回はグループの絶対的センターとして。
6. 《Bubble Pop!》とトラブルメーカー ― セクシーアイコンの誕生
ヒョナの名を世界に知らしめたのが、2011年7月発表のソロ曲《Bubble Pop!》だ。大胆な振り付けは韓国国内で「扇情的すぎる」としてKBSから放送不適格判定を受け、振り付け修正を求められる騒動になったが、皮肉にもその話題性が海外での注目を呼び、アメリカの音楽誌SPINが選ぶ「2011年ベストポップシングル」でアデル、ビヨンセに次ぐ3位に選出されるという快挙を成し遂げた。同年12月にはBEASTのチャン・ヒョンスンとのユニット「トラブルメーカー」で音楽番組1位を獲得し、「セクシーコンセプト」を自分の武器として完全に確立する。
7. 《江南スタイル》の「あの女性」
2012年、PSYの《江南スタイル》が世界的な社会現象となった際、MVの中で地下鉄のシーンに登場しPSYと踊る女性がヒョナだった。動画再生数が数十億回に達したこの曲によって、ヒョナは「K-POPを知らない人でも顔を知っている」数少ない韓国人アーティストの一人になる。さらにヒョナ視点で歌われる別バージョン《오빤 딱 내 스타일(オッパはまさに私のスタイル)》も制作され、彼女は文字通り「世界で最も見られた韓国人女性」となった。Wonder Girlsを半年で去った少女が、5年後には元のグループをはるかに超える知名度を手にしていたのである。
8. Cubeからの追放、そしてPSYのもとへ
2016年に4Minuteが解散した後もソロで活動を続けていたヒョナだったが、2018年、同じCube所属のダンサー兼歌手DAWN(イドン)との交際を公表したことで、事務所との関係は決定的に悪化する。Cubeは「信頼関係の回復が不可能」として2人との契約解除を発表。奇しくもヒョナは、キャリアの中で二度「事務所から追い出される」経験をすることになった。しかし2019年1月、PSYが自ら設立したレーベルP NATIONが2人を揃って迎え入れる。《江南スタイル》で共演した縁が、10年近くを経て彼女を救う形になった。
9. その後 ― 結婚をめぐる論争と現在
2022年8月にP NATIONとの契約が満了し、同年11月にはDAWNとの6年に及ぶ交際に終止符を打ったヒョナは、2024年1月、元BEASTのヨン・ジュニョンとの交際を公表し、同年10月に結婚した。しかしヨン・ジュニョンは2019年の「バーニングサン」事件に関連し、チョン・ジュニョンのグループチャットで違法撮影動画を受け取っていたことが問題視されて活動を停止した過去があり、この結婚には祝福よりも批判的な声が多く寄せられた。2026年現在、ヒョナは夫との海外旅行の様子を発信するなど私生活を公開しつつ、体型の変化をめぐる憶測にはSNSで直接反論するなど、良くも悪くも常に世間の注目を集め続けている。
まとめ
14歳でデビュー曲のセンターに立ち、半年で「健康上の理由」という言葉とともに姿を消した少女。その裏で「本当は交代させられたのでは」という噂は消えず、彼女自身も一時は引退を口にするほど追い詰められた。しかし2年後に別のレーベルで再デビューし、《Bubble Pop!》と《江南スタイル》で元のグループを超える世界的知名度を手にし、二度目の追放すら乗り越えて第一線に立ち続けた。ヒョナの物語は、K-POPにおける「追い出された側」が最も鮮やかに逆転した例として、今もWonder Girlsの歴史と対をなして語り継がれている。

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