2NE1(トゥーエニーワン)とは? ― 「可愛くない」を武器にしたYG初のガールズグループ。I AM THE BEST、パク・ボムの薬物問題、2016年の解散、コーチェラ、そして15周年の再結成まで

2009年、韓国のガールズグループは少女時代とWonder Girlsが作った「可愛くて、揃っていて、男の子に好かれる」という型の中にあった。そこに、可愛くないことを季語にした4人が現れた。リーダーはフランスと日本で育ったラッパー、メインボーカルはアメリカ帰り、もう一人はフィリピンですでにスター、最年少は14歳のダンサー。2NE1(トゥーエニーワン・투애니원)は、デビューの瞬間から「K-POPのガールズグループはこういうものだ」という前提を壊し、今日の「ガールクラッシュ(걸크러쉬)」という言葉の出発点になった。そして7年で解散し、8年後に戻ってきた。

1. 2009年、YGが初めて出したガールズグループ

2NE1はYGエンターテインメントが送り出した初のガールズグループである。メンバーは、リーダーでラッパーのCL(シーエル・씨엘・本名イ・チャリン)、メインボーカルのパク・ボム(박봄)、フィリピンで女優として既に有名だったサンダラ・パク(산다라박)、そしてデビュー時に14歳だったダンサーのミンジ(공민지)。2009年3月、先輩BIGBANGとのコラボ曲「Lollipop」(LGの携帯電話のCMソング)で顔を見せ、5月に「Fire」で正式デビューした。

「Fire」のMVを見れば、当時の衝撃が分かる。ヒップホップとレゲエを混ぜたトラック、パンクとストリートを混ぜた衣装、そしてカメラを睦みつける表情。少女時代の「Gee」が同じ年の1月に出ていたことを考えると、この対比は意図的だった。YGのプロデューサー・テディ(테디)が作ったサウンドは、2NE1の同一性そのものだった。

同年7月の「I Don‘t Care」は、浮気する彼氏に「どうでもいい」と言い放つ歌で、この年の年間チャートを制し、年末のMnet Asian Music Awardsではデビュー1年目にして「今年の歌」を受賞した。「彼氏に捕されない女」というテーマは、以後の2NE1の曲のほぼすべてを貫く。

2. 2011年「I AM THE BEST」 ― 世界が知った「私が一番」

2NE1の代表曲を一つ選ぶなら、2011年6月の「I AM THE BEST(내가 제일 잘 나가)」である。「私が一番イケてる」と繰り返すだけの歌詞、重いエレクトロ・ヒップホップのビート、金属と革の衣装。この曲は韓国を超えて広がり、2014年にはマイクロソフトのアメリカ向けタブレットCMに使われ、BTS以前に「アメリカ人が歌えるK-POP」の一つになった。MVの再生回数は4億回を超えている。

同じ年の「UGLY」は、「私は醆い、だからあなたの目を見られない」と歌う。「私が一番」と「私は醆い」を同じアルバムに入れたことに、2NE1というグループの本質がある。強がるのも、弱いのも、どちらも可愛く見せようとしない。当時の韓国のガールズグループで、こんな曲をタイトルにできるのは彼女たちしかいなかった。

3. 日本と世界 ― avexとの提携、ワールドツアー、ビルボード

2011年、avexから日本デビュー。KARAや少女時代のようなオリコン上位の常連にはならなかったが、日本武道館や大阪城ホールでの公演は完売し、「ガールズグループだがファンの多くが女性」という珍しいファン層を日本でも作った。2012年のワールドツアー「New Evolution」は韓国のガールズグループとして初の本格的な世界ツアーで、アメリカのプルーデンシャル・センターにも立っている。

2014年2月の2ndフルアルバム《CRUSH》は、ビルボード200で61位。これは当時、K-POPのアルバムとしては史上最高順位だった。タイトル曲「COME BACK HOME」と、CLが作詞に参加した「ダメな女(착한 여자)」――このアルバムが2NE1の頂点であり、同時に最後のアルバムになった。

4. 2014年、パク・ボムの薬物問題 ― 止まった時計

2014年7月、韓国のメディアが、パク・ボムが2010年にアメリカからアンフェタミンを含む薬を密輸しようとして税関で摘発され、起訴されていなかったことを報じた。YGのヤン・ヒョンスク(양현석)代表は、アメリカで処方されたADHDの治療薬だったと説明したが、「芸能事務所の力で事件が揉み消されたのでは」という疑惑は消えず、パク・ボムは出演中のバラエティを降板、事実上の活動休止に入った。

ここから2NE1はグループとしての新曲を出せなくなる。2015年末のMAMAでのサプライズステージで一度だけ4人が揃い、「戻ってくる」と期待されたが、2016年4月、ミンジがYGとの契約を更新せず脱退。3人での存続が発表されたものの、同年11月25日、YGは2NE1の解散を公式に発表した。CLとサンダラはソロとしてYGに残り、パク・ボムは契約終了。翌2017年1月「さようなら(안녕)」というタイトルの曲を3人で発表し、白黒のMVでファンに別れを告げた。

解散の真の理由については、今も議論がある。パク・ボムの問題だけでなく、CLのアメリカ進出を優先したYGの方針、そしてBLACKPINK(2016年8月デビュー)を次の主力にする判断が重なったと見るのが一般的である。BLACKPINKのコンセプトが2NE1の直系であることは誰の目にも明らかで、「2NE1は後輩に場所を譲らされた」という感覚は、当時のファンに強く残った。

5. 2022年コーチェラ ― 誰も知らされていなかった再会

解散から5年以上が過ぎた2022年4月16日、カリフォルニアのコーチェラ・フェスティバル。CLが88risingのステージに出演していたその場に、予告なくパク・ボム、サンダラ、ミンジが現れ「I AM THE BEST」を歌った。メンバー自身が自費で集まったこのサプライズは、その場にいた観客も、配信を見ていた世界中のファンも泣かせ、「2NE1の再結成」が現実の話題になった。

6. 2024年「WELCOME BACK」 ― 15周年の再結成ツアー

2024年10月4日、ソウル・オリンピックホール。デビュー15周年を記念するコンサート「WELCOME BACK」で、2NE1は公式に4人で戻ってきた。契約先はバラバラだが、グループ活動に限ってYGが協力するという形である。セットリストは「Fire」「I Don‘t Care」「Can‘t Nobody」「UGLY」「COME BACK HOME」と、ファンが待ち続けた曲をほぼ全部網羅し、ツアーはアジア各都市と日本(大阪・東京)へと広がった。

再結成の喜びは、しかし長くは続かなかった。2025年に入ると、ファンの視線はステージよりもパク・ボムのSNSに向くようになる。

7. パク・ボムは今どうなっているのか ― 「私の夫イ・ミンホ」から告訴状まで

異変が目に見える形になったのは2024年秋からである。パク・ボムはインスタグラムに俳優イ・ミンホ(이민호)の写真を繰り返し投稿し、「私の夫(내 남편)」と書き添えた。二人に接点はなく、イ・ミンホ側は一切反応しなかった。2025年2月には合成と思われる「ツーショット」に「私の夫♥」と付けて投稿し、批判が広がると削除、しかし4日後にまた同じ内容を上げる――この繰り返しに、ファンの間では「面白い」ではなく「心配だ」という声が主流になっていった。

2025年8月、所属事務所D-Nationは「パク・ボムは健康の悪化により、すべての活動を中断し治療と回復に専念する」と発表した。2NE1の以後のスケジュールには参加しないこと、医療スタッフが「十分な休息と安定」を勧めていることも同時に説明された。WELCOME BACKツアーの後半は、事実上CL、サンダラ、ミンジの3人で回ることになった。

活動中断後もSNSは止まらなかった。同年10月22日には、YGのヤン・ヒョンソクを相手取った「告訴状」の画像を投稿し、「長期間にわたり正当な精算を受けていない」と主張した。ところが翌日、事務所は「2NE1活動の精算はすでに完了しており、投稿された告訴状は実際には受理されていない」と、本人の主張を否定する異例のコメントを出した。ヤン・ヒョンソク本人も反論ではなく「むしろ心配している」という言葉で応じている。2022年にも同じように、個人情報がそのまま見える告訴状の画像を投稿し、事務所が「事実ではない」と打ち消した前例があった。

11月、12月と、治療中のはずのパク・ボムはトイレの鏡越しの自撮りや「Park Bom Good morning」という短い投稿を続けている。以前とは明らかに違う顔、脈絡のない文章、そして削除と再投稿の繰り返し。韓国のメディアは「不安な信号(불안 신호)」という言葉でこれを報じ、ファンは「お願いだから治療を先に(제발 치료 먼저)」とコメント欄で訴えている。2014年の薬物問題のとき、彼女がADHDの治療薬を必要としていたという事務所の説明を、今になって思い出す人も多い。

2NE1というグループにとって、パク・ボムは「あの高い声」そのものである。「I Don‘t Care」も「Lonely」も、彼女のボーカルなしには成立しない。3人で回るステージにファンが拍手を送りながらも、誰もが空いた一人分の場所を見ている。再結成が「完全な復活」ではなく「三人と、治療中の一人」という形で続いていることは、この記事を書いている時点での2NE1の、正直な現在地である。

それでも2026年5月の17周年には、メンバーは4人の写真を掲げて祝い、「黒いジャケット、4人」というアイコンは崩していない。完全な復活ではないが、完全な終わりでもない。それが今の2NE1である。

8. 日本の読者へ ― 2NE1がなければBLACKPINKはなかった

日本ではKARAや少女時代に比べて知名度が一段落ちる2NE1だが、K-POPの歴史における影響力はその逆である。「可愛くなくていい」「男に好かれるために歌わない」「ラッパーがリーダー」「ストリートとハイファッションの混合」――今のガールズグループが当たり前にやっていることは、ほぼ全部2NE1が最初にやった。BLACKPINKはその直系であり、(G)I-DLEやITZYの「ガールクラッシュ」も、元をたどれば2009年の「Fire」に行き着く。

そしてCLは、ソロでのアメリカ進出が思うようにいかず、2019年にYGを離れて自分のレーベルを作った。サンダラも2021年にYGを出た。つまりWELCOME BACKは、大手事務所の企画ではなく、事務所を離れたメンバーたちが自分の意志で集まった再結成だった。「私が一番」と歌った人たちが、会社の都合で解散させられ、自分たちの都合で戻ってきた。これ以上2NE1らしい結末はない。

まとめ

2009年の「Fire」から2016年の解散まで7年。2022年のコーチェラ、そして2024年の再結成。2NE1は活動期間より長い空白を持つグループだが、その空白の間にK-POPのガールズグループは彼女たちの方向へ動いていった。「I AM THE BEST」を初めて聞くなら、それが2011年の曲だということを覚えておいてほしい。今聞いても古くないということは、世界がやっと彼女たちに追いついたということである。

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