韓国で働く、あるいは韓国人と付き合うと、避けて通れないのが「フェシク(회식・会食)」である。日本の飲み会と似ているようで、ルールはかなり違う。グラスの持ち方、注ぐ順番、飲むときの体の向き、断り方、そして「二次会はあるのか」。この記事では、韓国の酒文化の基本マナーから、ソメク(소맥)の作り方、時代とともに変わった会食の形、そして日本人が上手に断る方法までを、現地で暮らす立場から整理する。
1. 基本マナー ― 「目上と飲むときは顔を背ける」は会社の話
韓国の酒のマナーは、ほぼすべてが「年齢と地位」を軸にできている。まず、目上の人から酒を注いでもらうときは、グラスを両手で持つ。目上の人に注ぐときも、瓶を両手で持つか、片手をもう片方の手首や胸に添える。そして一番日本人が驚くのが、目上の人の前で飲むときは顔を横や斜め後ろに向け、グラスを手で軽く隠して飲むことだ。これは「目上の前で堂々と酒を飲まない」という儒教的な礼儀の名残である。ただし、これは会社の会食や取引先との席、あるいは初対面の年長者と飲むときの話であって、日常の場面ではほとんど見ない。友人同士、家族、恋人、行きつけの店の常連同士では、誰も顔を背けたりしない。「仕事の関係では顔を背ける、私生活では背けない」――この線引きを知っておけば、やりすぎて浮くこともない。
グラスが空になってから注ぐ、というのも日本と違う点だ。日本のように少し減ったら足す「添ぐ(첨쟔)」は、韓国では法事で死者にするものとされ、嫌われる。自分で自分のグラスに注ぐ「手酒(자작)」も避けられ、誰かのグラスが空いたら周りが注ぐ。だから韓国の飲み会では、飲みたくない人はグラスを空にしない。少し残しておけば、注がれない。これが最初に覚えるべき防御策である。
2. 乾杯の言葉と「ワンショット」の文化
乾杯は「건배(コンベ)」。もう少しくだけた場では「짠(ッジャン)」という音を使う。乾杯の時は、目上の人のグラスより自分のグラスを低く当てる。そして韓国の乾杯には「ワンショット(원샷)」、つまり一気飲みの圧力が付いて回る。特に最初の一杯は一気に飲み干すのが礼儀とされ、上司が「ワンショット!」と言えば全員が空にする。
もう一つ、日本人にはなじみのない習慣が「グラスを回す(잔 돌리기)」である。自分のグラスを飲み干し、そのグラスを相手に渡して酒を注ぐ。相手はそれを飲んで返す。同じグラスを共有することで親密さを示す、という発想で、上司が部下に自分のグラスを渡すのは「お前を認めている」という合図でもあった。ただし、これはもう過去形で語るべき習慣に近い。衛生面の問題とコロナを経て、今の会食ではまず見かけなくなり、若い世代は「そんなことをしていたのか」と驚くほどだ。今も残っているとすれば、50代以上が中心の地方の会食や、昔ながらの営業職の席くらいである。日本人がこの習慣を経験する確率は、年々低くなっている。
同じく消えつつあるのが「ペースを合わせる(속도 맞추기)」という暗黙のルールだ。かつての韓国の飲み会では、テーブルの全員が同じ速さで飲むのが礼儀とされ、乾杯のたびに全員が同じ量を減らし、一人だけグラスが減っていないと「なぜ飲まないのか」と指摘された。上司が一気に空ければ部下も空ける、先輩が三杯なら後輩も三杯。自分の酒量に関係なく「場の速度」に合わせるこの文化が、韓国の飲み会を苦しいものにしていた最大の原因だった。だがこれも最近はほとんど見ない。今は各自が自分のペースで飲み、ゆっくり飲む人がいても誰も気にしない。「ペースを合わせろ」と言う人がいたら、その人の方が古いと思われる時代になった。
もう一つ、日本人が聞くと驚く昔のルールに「ソジュを途中で止めてはいけない」というものがあった。ソジュのグラスは一口で空けるのが基本で、半分飲んでテーブルに置く「切って飲む(끊어 마시기)」は「酒に誠意がない」「相手を軽く見ている」とされ、上司の前でやると空気が凍った。乾杯したら飲み干す、飲み干せないなら最初から受けるな、という理屈である。今では「一口ずつ飲みたいから」と言えば誰も何も言わないし、若い世代はそんなルールがあったこと自体を知らない。ソジュを半分ずつ飲む日本人を見て眉をひそめる韓国人がいたら、それは相当な年配か、相当な古い会社の人だと思っていい。
3. ソメク(소맥) ― 韓国人の「国民の酒」
ソメクはソジュ(소주)とメクチュ(맥주・ビール)を合わせた造語で、ビールグラスにソジュを入れてビールを注いだだけの飲み物だ。ソジュとビールの比率は「黄金比率(황금비율)」と呼ばれ、ソジュのグラスに引かれた線を基準に「ソジュ3、ビール7」が標準とされる。会食では一番若い人が「ソメク係」になり、スプーンでグラスの底を叩いて泡を立てたり、両手でグラスをひねったりと、パフォーマンスを求められる。
なぜソメクなのか。答えは単純で、韓国のソジュはアルコール16〜17度でストレートで飲むには強く、ビールは薄くて物足りない。両方を混ぜればちょうどよくなる、という実用的な発明である。ただし飲みやすい分、量が進む。日本人が会食でつぶれる原因の大半は、ソメクをビールのつもりで飲んでしまうことだ。
4. 一次会、二次会、三次会 ― 「チキンとビール」は二次会の定番
伝統的な韓国の会食は、一次会(1차)が焼肉(サムギョプサルや牛カルビ)とソジュ、二次会(2차)がチキンとビールかビアホール、三次会(3차)がカラオケ(노래방)という進行である。一次会で帰るのは難しく、二次会までは付き合うのが「常識」だった。そして三次会で上司が歌うバラードに拍手をし、翌朝は普通に出勤する。
会食の費用は全額会社か上司持ちで、割り勘はしない。日本の「部長が多めに出す」とは違い、韓国では年上・上位の人が払うのが当然で、若手が財布を出すとむしろ失礼になる。この「奨る人が払う」ルールは友人同士でも生きていて、今日はこっち、次はそっち、と交互に払う。レジの前でカードを奇し合う光景は韓国の飲食店の日常である。
5. 2020年代、会食はこう変わった ― そして減っている
ここまで書いたのは、正確には「2010年代までの会食」である。変化は三段階で来た。まず2016年の「キムヨンラン法(김영란법・不正請託禁止法)」で、公務員や記者への接待に上限ができ、会社の接待文化全体が縮小した。次に2018年の週労働時間52時間制と、「ワラバル(워라밸・ワークライフバランス)」という言葉の流行。会食は勤務ではない、という感覚が若手に広がった。そして決定打が2020〜22年のコロナで、夜9時以降の営業禁止と人数制限が2年続いたことで、「二次会に行かない人生」を全員が経験してしまった。
今の会食は「一次会で終わる」「夜9時には解散」「飲めない人はコーラでOK」が標準になり、昼のランチ会食や、酒の代わりに映画やボウリングに行く「文化会食(문화회식)」も増えた。そもそも会食の回数自体が目に見えて減っている。かつては毎週のようにあった部署の飲み会が、今は四半期に一度、あるいは歓送迎会と年末だけ、という会社が珍しくない。20代の間では「会食を強要する上司」はそれだけで転職理由になり、会社側も気を使う。人事担当者の間では「会食は福利厚生ではなくリスク」という言い方さえ聞かれる。とはいえ、これはソウルの大企業やIT企業の話で、地方の中小企業や建設・営業職では今も「年に数回の必死の会食」が健在である。
6. 大学生も飲まなくなった ― 「サバル酒」から「酒は嗜好品」へ
会食の変化と並行して、もっと大きな変化が若い世代に起きている。かつて韓国の大学は、会社以上に酒が激しい場所だった。新入生歓迎会(신입생 환영회・OT)では先輩が後輩に洗面器(사발)でマッコリやソジュを一気飲みさせる「サバル酒(사발주)」、先輩の前で飲めないと「根性がない」と言われる空気、MT(合宿)で夜通し飲んで倒れる者が出るのが当たり前――そういう、今から見ればどうしようもない文化が2000年代までは普通にあった。そして毎年3月、新学期が始まると必ずと言っていいほど「新入生歓迎会で飲酒後に転落死」「MTで泥酔した学生が死亡」「先輩に無理に飲まされて急性アルコール中毒で搬送」というニュースが流れた。韓国で暮らした人なら、春先のこの種のニュースを季節の風物詩のように覚えているはずだ。大学側が公式に「飲酒強要禁止」を掲げ、OTから酒を外す動きが広がったのは2010年代半ばで、この数年はそうしたニュースをほとんど聞かなくなった。
ところが今の20代にとって、酒は「飲まなければならないもの」ではなく、コーヒーや甘いものと同じ「嗜好品(기호식품)」になった。飲みたい人が飲みたいときに飲む、飲まない人は飲まない、それだけのことだ。飲み会よりも自分の時間、酒よりも運動や趣味。ノンアルコールビールや低アルコール飲料が若い世代でよく売れ、「ソバー・ライフ」という言葉が使われる。飲むにしても、量を競うのではなく、クラフトビールやウイスキーのハイボールを一杯だけ、という飲み方が普通になった。
その結果、韓国のニュースには毎年のように「大学街の居酒屋が持たない」という記事が出る。新村(신촌)、弘大(홍대)、建大入口(건대입구)といった大学街の飲み屋街は、コロナ後に客が戻らず、深夜まで開いていた店が次々にカフェや無人店舗に変わった。「大学生は酒を飲まない」は誇張ではなく、大学街の商圏が実際に縮んでいる。かつて「韓国人は世界一酒を飲む」と言われた国で、20代のアルコール消費量は明確に減り続けている。
つまり日本人が身構えるべき「韓国の酒文化」は、今や50代以上の会社員と地方に残っている文化であって、若い韓国人と飲むなら、日本の若者と飲むのとほとんど変わらない。むしろ「飲めないんです」と言う韓国の20代の方が、日本より多いかもしれない。
7. 日本人のための断り方 ― 「飲めません」より効く言い方
日本人がやりがちな失敗は、「飲めません(술 못 마시요)」と最初に言い、その後一杯でも飲んでしまうことだ。一度飲めると分かると、あとは注がれ続ける。効くのは具体的な理由で、「薬を飲んでいます(약 먹고 있어요)」「車を持ってきました(차 가지고 왔어요)」は韓国では無敵の断り文句である。飲酒運転の罰則が非常に厳しいこともあり、車と言えば誰も勧めない。
もう一つのコツは、「飲まない」ではなく「飲むふりをする」ことだ。グラスに酒を入れたまま口をつけるだけにし、空にしない。乾杯には参加するが量は減らない。韓国人が気にするのは「一緒にやっているか」であって「どれだけ飲んだか」ではない。乾杯のたびにグラスを上げて笑っていれば、中身が減っていなくても誰も気にしない。逆に、飲んでいても雰囲気に乗らない人の方が「つまらない人(노잼)」と思われる。
8. 二日酔いの朝 ― ハェジャンククとコンビニの二日酔いドリンク
韓国には「二日酔い産業」と呼べるものがある。飲む前にコンビニで「コンディション(컨디션)」や「モニンケア(모닝케어)」といった二日酔い防止ドリンクを飲み、翌朝はハェジャンクク(해장국・酔い覚ましスープ)を食べる。牛骨スープのソルロンタン、豚の背骨のプゴクク、豆もやしのコンナムルクク、干しタラのプゴクク――早朝から開いているスープ屋の客の半分は、前日の会食の生存者である。「二日酔いを前提に社会が設計されている」という点で、韓国は世界でも珍しい国だ。
まとめ
韓国の酒文化は、一見すると「飲ませる文化」に見えるが、実際は「一緒にいることを確かめる文化」である。両手で受け、仕事の席では顔を背けて飲み、グラスを空にしない。断るときは薬か車。この四つを覚えておけば、日本人でも韓国の会食を楽しめる。そして知っておいてほしいのは、ここに書いた会食の風景そのものが、今の韓国では年々薄れていっているということだ。グラスを回す上司はもういないし、二次会も三次会も減った。「韓国人は酒を飲ませる」というイメージで身構えて来た日本人が、拍子抜けするほど静かな一次会で終わる――それが2020年代の韓国の会食である。

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