以前書いた韓国ヒップホップの歴史の記事で、韓国語ライムの体系を打ち立てた人物として名前を挙げたのがVerbal Jint(버벌진트)である。本名はキム・ジンテ(김진태)、1980年ソウル生まれ。この記事では、『SHOW ME THE MONEY(쇼미더머니)』が始まる前のシーンで彼がどんな存在だったのか、そして韓国の大衆にどう受け止められてきたのかをたどってみる。
1. パソコン通信の掲示板から
Verbal Jintが創作を始めたのは、1999年に大学に入ってからである。場所はパソコン通信ナウヌリ(나우누리)のブラックミュージック創作同好会SNP。DEFCONN(데프콘)やP-Type(피타입)もいた集まりだ。
この同好会には、のちに韓国を代表するヒップホップ評論家になるキム・ボンヒョン(김봉현)も運営陣として加わっていた。そのキム・ボンヒョンは2010年のコラムで、Verbal Jintが2000年に発表した「ノジャ(노자)」には「韓国語ライムの革命的な方法論」が詰まっていたと書き、韓国ヒップホップの最も偉大な業績は2000年にVerbal Jintが示したライムの方法論だ、とまで言い切っている。「ノジャ」は、すでに有名だったチョPD(조PD)を名指しで批判したディス曲でもあった。
2. 『Modern Rhymes EP』― 韓国語ライムの方法論
2001年7月13日、Verbal Jintは初のミニアルバム『Modern Rhymes EP』を出す。自費で作った作品である。この1枚は韓国語ライムの新しい可能性を示したと評価され、彼はヒップホップのミュージシャンたちの間で一目置かれる存在になった。
収録曲の一つは「Overclass」。のちに彼が率いるクルーの名前でもある。
では、何が新しかったのか。韓国語の文は「〜다(〜だ)」「〜요(〜です)」で終わることが多く、それまでのラップの韻は、語尾をそろえるだけの「語尾合わせ(끝말 맞추기)」が多かった。キム・ボンヒョンは2023年のインタビューで、Verbal Jintは韓国語の文法の基本理論を使ってライムを作ったと説明している。具体的には、口蓋音化(구개음화)や濃音化(경음화)といった音の変化を計算に入れ、激音や濃音まで考えて韻を組んだ。そのため、メッセージの自然さを損なわずにライムが成立したのだという。
筆者が作った例で説明してみる。「같이(一緒に)」は、文字の上では「가치(価値)」と別の単語だが、口蓋音化によってどちらも[가치](カチ)と発音される。綴りではなく実際の発音でそろえれば、意味の違う言葉どうしが韻を踏む。さらに「사랑해(愛してる)」と「다 망해(全部つぶれる)」のように、文末だけでなく3音節の母音(ㅏ・ㅏ・ㅐ=ア・ア・エ)をまとめてそろえる。これが多音節ライムの基本的な考え方である。
キム・ボンヒョンによれば、規則らしい規則がなかった時代に、Verbal Jintは「韓国語のライムはこうやるものだ」と実際にやってみせた。その態度を嫌う人もいたが、説得力があったからシーンに受け入れられた、という。
3. 『濡れ衣』と、番組が始まる前のシーン
2007年に『無名(무명)』を、2008年7月に2ndアルバム『濡れ衣(누명)』を出す。『濡れ衣』は2009年の韓国大衆音楽賞(한국대중음악상)で最優秀ヒップホップ・アルバムを受賞した。下はアルバムと同名の曲と、「Tightという言葉の存在理由(Tight이란 낱말의 존재이유)」である。
この頃の彼は、クルー「Overclass」の中心でもあった。のちに『SHOW ME THE MONEY』で顔を合わせるSwings(스윙스)やSan E(산이)もここにいた。キム・ボンヒョンは2010年のコラムで、このクルーを「オルタナティブ+実力」と定義している。
Verbal Jintは2011年のインタビューで、それまでのアルバムは1枚を除いてすべて自費の自主制作だったと語っている。弘大(홍대/ホンデ)のヒップホップシーンは稼げない、という世間の見方については「偏見だと言い切りたかった」という。2010年には、かつてディスしたチョPDと共作アルバム『2 The Hard Way』を出した。
4. 「良さそうだね」― ソウル大卒のラッパー、お茶の間へ
転機は2011年である。チョPDとライマー(라이머)のレーベルを経て、ライマーが立ち上げたブランニューミュージック(브랜뉴뮤직)に移り、8月31日にアルバム『Go Easy』を出した。The Black Skirts(검정치마)をフィーチャーした「良さそうだね(좋아보여)」は、発売と同時に音源チャートの上位を占めた。ハードなラップで知られた人が、恋愛を軽やかに歌ったのである。
本人も、『濡れ衣』や『無名』が好きだった人の中には、このアルバムは聴いていられないと言う人もいるだろうと認めていた。一方で、世間を驚かせたのは経歴のほうだった。ソウル大学(서울대학교)経済学部を卒業し、当時はロースクールに在籍中。しかも有名なCMのナレーションも担当していた。当時のインタビュー記事も、まずこの点に触れている。のちには「高スペック(고스펙)」のラッパーという見出しも付いた。本人は、そうしたイメージは「まったく気にしていない」と答えている。ロースクールは結局、卒業しないまま籍を離れた。
2012年には『10年間の誤読Ⅰ(10년 동안의 오독 I)』から「十分きれいだよ(충분히 예뻐)」、10cm(십센치)のクォン・ジョンニョル(권정열)が歌う「Good Morning(굿모닝)」が続いた。
2013年1月7日の「出だしは上々(시작이 좋아)」は、作詞・作曲・編曲をすべて自分で手がけた曲だ。エイリー(에일리)との「これが愛じゃないなら(이게 사랑이 아니면)」、ボムキ(범키)との「雨まみれ(비범벅)」も同じ年である。『Go Easy』と『10年間の誤読Ⅰ』は長く売れ続け、2013年ごろまでブランニューミュージックの主な収入源だったという。
同じ2013年には、チョー・ヨンピル(조용필)の19thアルバムのタイトル曲「Hello」にラップで参加した。KBSのラジオでDJも務め、音楽番組『ユ・ヒヨルのスケッチブック(유희열의 스케치북)』にも出演している。
5. 『SHOW ME THE MONEY』と、プロデューサーの顔
2012年6月に始まった『SHOW ME THE MONEY』のシーズン1に、Verbal Jintはガリオン(가리온)、ジュソク(주석)らとともに出演している。キャリアのあるラッパーが新人と組み、観客の投票だけで脱落者が決まる形式だった。下は決勝のスペシャルステージで披露した「Storm」である。
2015年2月には、女性ラッパーのサバイバル番組『UNPRETTY RAPSTAR(언프리티 랩스타)』で曲をプロデュースした。AOAのジミン(지민)がイム・スロン(임슬옹)と歌った「出だしは上々2015(시작이 좋아 2015)」は、公開直後に主要音源サイト7つで1位になった。韓国メディアは彼を「歌謡界の新しいミダスの手」と呼んだ。
同じ年のシーズン4では、San Eと組んでプロデューサーを務めた。プロデューサー公演では、Swingsも参加した2014年の曲「半島のよくあるラッパー(반도의흔한랩퍼)」を2人で披露している。
客演でも存在感は大きかった。2014年のEpik High(에픽하이)「BORN HATER」、2015年のテヨン(태연)「I」に参加している。
2019年のシーズン8では、Giriboy(기리보이)、BewhY(비와이)、millic(밀릭)と「BGM-vクルー」を組み、クルーのPunchnello(펀치넬로)が優勝した。
その間、2016年6月には、ソウル・麻浦(마포/マポ)付近で飲酒運転により摘発されている。血中アルコール濃度は0.067%で、免許停止にあたる数値だった。彼は報道が出る前に自らSNSで事実を明かし、「何の言い訳の余地もない私の過ちだ」と謝罪した。
6. 2020年代、まだ書き続ける
2021年にはアルバム『変曲点(변곡점)』と、デビュー作の20周年記念盤『Modern Rhymes XX』を出した。『変曲点』には、JUSTHIS(저스디스)を迎えた「俺がそれを知らないとでも(내가 그걸 모를까)」が入っている。2023年9月には8枚目のフルアルバム『K-XY : INFP』を出し、タイトル曲の一つ「出前を待ちながら(배달음식을 기다리며)」には、元恋人でBrave Girls(브레이브걸스)のミニョン(민영)が参加して話題になった。
2025年8月にはヘイズ(헤이즈)との「Replay」を出した。
2026年1月には「俺がそれを知らないとでも2026」を出した。参加したのはStreet Baby、The Quiett(더 콰이엇)、Hanhae(한해)、そしてSNP時代の仲間P-Typeである。
そして2026年10月には、『10年間の誤読Ⅱ』の先行シングルとして「SUPERDRY」と「仮定法(가정법)」を続けて出した。2012年の『10年間の誤読Ⅰ』から14年ぶりの続編である。
日本の読者へ
韓国語ラップがぶつかった壁は、日本語ラップがぶつかった壁とよく似ている。文末が決まった形で終わりやすく、語尾をそろえるだけでは韻が単調になる。日本では、キングギドラの1stアルバム『空からの力』(1995年)が、その韻の踏み方から今も「日本語ラップの教科書」と呼ばれている。言語学者の川原繁人は、日本語ラップの韻では母音だけでなく子音の近さも効いていることを分析で示した。韓国でVerbal Jintが口蓋音化や濃音化まで計算に入れたのと、発想はかなり近い。
Verbal Jintを最初に聴くなら、次の5曲をすすめたい。
- 「Overclass」
- 「濡れ衣」
- 「良さそうだね」
- 「出だしは上々」
- 「俺がそれを知らないとでも2026」
アンダーグラウンドで方法論を作った人が、自分の手でお茶の間のヒット曲を書いた。韓国ヒップホップが『SHOW ME THE MONEY』の前から大衆と出会っていた、その一番分かりやすい例がVerbal Jintである。
※アイキャッチ画像:Verbal Jint October 2014.png by Chae(Wikimedia Commons、CC BY 4.0)

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