韓国語がある程度話せるようになった日本人が、いちばんよく、しかも自分では気づかないまま間違えるのが「호칭(ホチン/呼び方)」です。文法は合っているのに、相手を呼ぶ一言のせいで空気がすっと冷える、あの瞬間です。原因ははっきりしています。日本語は「〜さん」ひとつで上司も同僚も初対面の人もほぼカバーできますが、韓国語にはそんな万能の呼び方が存在しません。相手との関係、自分の性別、肩書きによって呼ぶ言葉が分かれます。ソウルに住んでいて実際によく見かける間違いを5つ整理しました。
①「씨」を「さん」のように使ってはいけません
いちばんよくある間違いです。「田中さん」の感覚で、目上の人や上司に「〇〇 씨(シ)」と呼んでしまう —— これは韓国語では不自然です。
国立国語院(국립국어원)の『標準国語大辞典』は「씨」について、公式的・事務的な場や不特定多数の読者に向けた文章でない限り目上の人には使いにくい言葉で、だいたい同僚や目下の人に使う、と説明しています。つまり「씨」は敬称ではあるのですが、敬意の幅が「さん」よりずっと狭いのです。ニュース記事や公文書で「홍길동 씨(ホン・ギルドンさん)」と書くのは自然ですが、年上の上司を前にして「부장 씨(部長さん)」と呼ぶのは成立しません。
띄어쓰기(分かち書き)にも落とし穴があります。くっつけて書いた「김씨」はその姓そのものや一族・門中を表す接尾辞で、離して書いた「김 씨」「홍길동 씨」が人を呼ぶときの呼称です。
ただ、ここでひとつ安心していただきたいことがあります。分かち書きは韓国人でも本当によく間違えます。国立国語院の国語相談窓口「온라인가나다(オンラインカナダ)」に2023年1〜3月に寄せられた相談4,793件を分析した研究によると、言語規範に関する質問が全体の36.7%を占め、そのうち半分近い48.8%が分かち書きの質問でした。韓国語を母語とする人がいちばん迷う項目が、まさに分かち書きなのです。ですから外国人が「김씨」なのか「김 씨」なのかをくっつけて書いたところで、困ったことになる場面はありません。手書きやチャットのときは気にしなくて大丈夫です。(分かち書き自体は話題の多いテーマなので、いずれ別の記事で扱います。)
形としては「姓+씨」「フルネーム+씨」「名前+씨」のどれも可能ですが、いずれにしても目上の人には使いにくい —— こちらが本当に大事な部分です。では何と呼べばいいのか。名前を知らない相手なら「선생님(ソンセンニム/先生)」が安全です。肩書きを知っているなら次の項目へ進みます。
なお、呼び方ではなく「話し方」のほうのズレについては、以前 韓国語の敬語、日本と「似ているのに違う」4つのこと で詳しくまとめています。あわせてどうぞ。

② 会社では「肩書き+님」が基本です
日本の会社では「部長」のように肩書きだけで呼び、むしろ「部長様」と言うと、肩書き自体がすでに敬称なので二重敬語になって不適切だと教わります。メールの宛名も「営業部長 中西様」のように、名前のほうに「様」をつけますよね。
韓国はここで正反対に動きます。肩書きの後ろに「님(ニム)」をつけるのが標準です。부장님(プジャンニム/部長)、과장님(クァジャンニム/課長)、팀장님(ティムジャンニム/チーム長)、사장님(サジャンニム/社長)、교수님(キョスニム/教授)、선생님(ソンセンニム/先生)。日本式の感覚で「부장」とだけ呼ぶと、ぐっと踏み込んだ感じが出て不自然になります。「님」は二重敬語ではなく、ただの基本セットだと思ってください。
ただし最近は会社によって違います。CJグループが2000年に役職名の呼称をなくして名前の後ろに「님」をつける方式を導入して以降、SKテレコム(2006年)、NAVER(2010年、社員は「님」・役員は「이사(理事)」)などが続き、カカオはいっそ英語のニックネームで呼び合います。サムスン電子は「님」と「프로(プロ)」を併用しています。ですから韓国の会社に入ったら、初日に「ここではお互いどう呼び合いますか?」と聞いてみるのがいちばん確実です。

③ 언니・오빠・형・누나は「自分の性別」で分かれます
日本語の「兄」「姉」は、話し手が男性でも女性でも同じです。韓国語は違います。呼ぶ人の性別によって単語が変わります。
- 男性が年上の男性を → 형(ヒョン)
- 男性が年上の女性を → 누나(ヌナ)
- 女性が年上の女性を → 언니(オンニ)
- 女性が年上の男性を → 오빠(オッパ)
そしてこれらの言葉は、家族の中だけで使われるわけではありません。血のつながっていない年上の相手にも幅広く広げて使います。ちなみにもともと「언니」は性別の区別なく年上のきょうだいを指す言葉で、「오빠」も「형」とともに男女ともに使っていた言葉でしたが、時間が経つうちに今の使い分けとして定着したものです。
日本人男性が年上の女性の同僚を「언니」と呼んでしまったり、女性が年上の男性を「형」と呼んでしまう間違いは、けっこう見かけます。文法の間違いというより話し手の性別のほうが間違っている形になるので、聞いた側が一瞬止まります。そしてもうひとつ —— 初対面の場でいきなり「오빠」「언니」は早いです。お互い打ち解けてから、あるいは相手からそう呼んでいいと言われてからが無難です。

④ 食堂で店員さんを呼ぶとき
韓国の食堂で実際に聞こえてくる呼び方は「여기요(ヨギヨ)」「저기요(チョギヨ)」「사장님」「이모(イモ)」などさまざまです。「이모」はもともと母親の姉妹(おば)を意味する言葉ですが、親しみを込めて食堂で使われることがあります。
国立国語院はこの問題について、店員の地位や性別に関係なく「사장님」や「종업원님(従業員さん)」と呼び、知らない人に何かを尋ねるときは「선생님」と言うなど、性別の色をできるだけ帯びない呼び方を勧めています。女性を指す言葉が呼称として使われる過程で目下の扱いにつながりやすい、という問題意識です。「아줌마(アジュンマ/おばさん)」のような呼び方が問題として指摘されてきたのも、同じ流れです。
旅行者や留学生にとっていちばん安全な選択は「저기요」です。短くて、性別や年齢に関係なく、どこでも通じます。「이모」は常連の店ならではの距離感がこもった言葉なので、初めて行く店で使うには少し早いです。

⑤「오빠」、最近のK-POPの歌詞にはあまり出てきません
日本のファンが自然に使う「オッパ」にも、時代の層があります。god(ジーオーディー)やSUPER JUNIOR(スーパージュニア)の頃には「오빠 ― 少女ファン」という構図をコンテンツの中で積極的に活用していました。逆にSHINee(シャイニー)やTEEN TOP(ティーントップ)はこの構図をひっくり返し、ファンを「누나」と呼ぶ年下男子のイメージを打ち出し、とくにSHINeeは「누나ファンダム」をうまく作り上げました。
ところが3世代にあたるBTS(防弾少年団)のあたりから空気が変わります。フェミニズム・リブートを経て「오빠 ― 少女ファン」という構図に含まれる上下関係そのものが問い直され、今日のK-POPではこうした親族呼称を直接使う例はほとんど見られない、というのが研究者の観察です。
ファン同士の会話やSNSで「오빠」と呼ぶことは、今でもよくあります。ただ歌詞や公式コンテンツからは確実に減った —— このくらいの感覚を知っておくと、世代ごとの曲を聴くときの楽しみがひとつ増えます。アイドルとファンの呼び方がどう作られてきたかは、H.O.T.とジェクスキス ― K-POPアイドルシステム誕生の物語 のほうも読んでいただくと流れがつかめます。

まとめ:迷ったら「선생님」、肩書きが分かれば「肩書き+님」
呼び方を一度間違えたくらいで関係が終わることはありません。韓国の人も、相手が外国人ならたいてい笑って流してくれます。ただ毎回迷うのも疲れるので、基準をひとつだけ決めておくといいと思います —— 確信がなければ「선생님」、肩書きが分かれば「肩書き+님」。この二つでほとんどの場面が解決しますし、失礼になることもありません。
あとは相手が「편하게 불러요(気軽に呼んでください)」と言ってくれるまで待てば大丈夫です。その一言を聞く瞬間が、実は韓国で関係がひとつ近づいたサインでもあります。

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