H.O.T.とジェクスキスの話をしたとき、ひとつ抜けていたことがあります。同じ時期に、同じ2社が女性のほうでもまったく同じ戦いをしていた、ということです。SMエンターテインメントのS.E.S.と、テソン企画(現DSPメディア)のFin.K.L(ピンクル)。男性側と瓜二つの構図で、どちらも大きく成功しました。ただ、この話の結末は少し違います。最後に流れをひっくり返したのがグループではなく、そのうちの一人だったからです。しかもその人が流れを変えるのにかかった時間は、曲名のとおり10分でした。
① S.E.S. — SM初のガールグループ、そして日本に最初に渡った韓国のガールグループ
S.E.S.は1997年11月にデビューしました。1stアルバム「I’m Your Girl」が11月1日に発売され、公開デビューの舞台は11月28日でした。グループ名はメンバー3人の活動名 Sea(パダ)・Eugene(ユジン)・Shoo(シュー)の頭文字です。SMエンターテインメントが初めて世に出したガールグループで、デビューアルバムは65万枚を売り上げました。
日本の読者の方に興味深い話がひとつあります。メンバーのシューは在日コリアンとして横浜で生まれ育ち、15歳のときに韓国へ渡りました。ですからS.E.S.の日本進出は、最初から自然な選択だったわけです。
1998年8月28日、東京・六本木のクラブ「ベルファーレ」で日本デビューシングルの発売ショーケースが開かれました。天候が悪かったにもかかわらず、プロデューサー、マスコミ関係者、レコード卸業者、一般客まで1,000人を超える人が集まったといいます。そして同年10月21日に発売した日本での1stシングル「めぐりあう世界」が、オリコンチャート37位に入りました。韓国のガールグループがオリコンチャートにランクインした最初の例です。いまK-POPのガールグループが日本で活動している光景の出発点が、ここにあります。
② Fin.K.L — テソン企画の答え、そして「一人多く」の方程式
翌1998年5月12日、テソン企画が4人組のFin.K.Lをデビューさせました。イ・ヒョリ、オク・ジュヒョン、イ・ジン、ソン・ユリ。デビュー曲は「블루 레인(Blue Rain/ブルーレイン)」でした。グループ名 Fin.K.L は “Fine Killing Liberty” の略です。
ここで男性側とまったく同じ方程式が見えます。SMが5人組のH.O.T.を出すとテソン企画は6人組のジェクスキスを出し、SMが3人組のS.E.S.を出すと4人組のFin.K.Lを出しました。相手より一人多く。偶然というには正確すぎるパターンです。この「+1」がどこから始まったのかは、H.O.T.とジェクスキスの記事のほうに詳しく書きました。
Fin.K.Lは1999年5月に発表した2ndアルバム「영원한 사랑(永遠の愛)」で約59万枚を売り上げ、歌謡大賞を受賞しました。2組はそろって「歌謡界の妖精」という愛称を得て、どちらかが一方的に勝つという図は最後まで生まれませんでした。
③ どれくらい人気だったのか —「ゲリラコンサート」という物差し
枚数や順位だけ並べても実感が湧きにくいので、当時の人気をいちばんわかりやすく示す番組の話をします。MBC「일요일 일요일 밤에(日曜日 日曜日の夜に)」の名物コーナー、게릴라 콘서트(ゲリラコンサート)です。2000年9月から2003年1月まで放送されました。
ルールはこうです。歌手はその日の朝に決まった街へ行き、宣伝カーに乗って1時間だけ路上で自分の告知をする。それだけで、指定された目標人数(通常5,000人)が会場に集まれば公演が成立し、集まらなければ中止。歌手は舞台の前でアイマスクをつけて待たされ、それを外した瞬間に初めて実際の観客数を知る、という仕掛けでした。インターネットもSNSもまだ行き渡っていない時代の話です。
Fin.K.Lは2000年10月8日、一山(イルサン)で最初の挑戦をして6,317人(目標5,000人)を集めました。さらに同年12月24日、クリスマスイブのソウル・汝矣島(ヨイド)公園で、目標を10,000人に引き上げた共同挑戦に臨みます。結果は10,093人。わずか93人差で成立しました。
S.E.S.は2001年1月14日、大邱(テグ)で目標5,000人に対して11,745人を集めます。この回は瞬間視聴率40.1%を記録し、2000年代のMBCバラエティで最高の数字として今も残っています。そして2002年3月24日には再挑戦。このときは「地下鉄の中と駅の構内でしか宣伝できない」「地下鉄の切符を持っている人しか観客として数えない」という厳しい条件がついたにもかかわらず、8,233人が集まって成立しました。
ちなみにこのコーナー全体で公演が中止になったのは7回だけで、歴代最多動員はgodの18,521人(2001年12月23日・水原)です。数千人という数字が当たり前のように見えてしまいますが、「1時間の路上宣伝だけで、週末の夜に1万人を一か所へ動かす」というのが何を意味するかは、想像していただけると思います。
④ ライバル関係をつくったのは、2組ではありませんでした
ひとつ押さえておきたいことがあります。2009年にスターニュースがアイドルのライバル史をまとめた際の表現ですが、アイドルグループは「自らの意思とは関係なく、メディアやファンから『善きライバル』と評価されるようになってから注目度をさらに高めてきた」といいます。ライバル構図はグループが宣言するものではなく外から着せられるもので、それが着せられた瞬間に両方とも大きくなる、という話です。ファンにとっては本気の対決だったものが、産業の側から見ればとてもよく機能するマーケティングでもあったわけです。
2組の終わりは、意外なほど静かでした。S.E.S.は2002年12月19日、ユジンが再契約をしないことになって解散が公式化されました。Fin.K.Lにいたっては、解散を宣言したことすらありません。2005年の「Forever Fin.K.L」を最後に、4人がそれぞれの道へ進んだだけです。そしてそのうちの一人が、誰も予想しなかった方向へ進みました。

⑤ 2003年の夏、イ・ヒョリが10分で流れを変える
2003年8月13日、イ・ヒョリがソロ1stアルバム「STYLISH…E hyOlee」を発表します。タイトル曲は「10 Minutes」。作詞はメイビー、作曲・編曲はキム・ドヒョンが手がけました。
ここで重要なのは、音楽の方向そのものが変わったということです。当時の韓国のガールグループの主流は清純で叙情的なバラードやダンス曲で、Fin.K.Lもその真ん中にいました。ところがイ・ヒョリは、ヒップホップを取り込んだ曲と挑発的な振り付けを持って戻ってきました。「妖精」と呼ばれていた人がそのイメージを正面から壊しにきたわけで、曲そのものよりも、そういう選択をしたという事実のほうが衝撃的でした。
結果はこうです。この曲でイ・ヒョリは、Mnetミュージックビデオフェスティバル、KMTV歌謡大典、KBS歌謡大賞、SBS歌謡大典、ソウル歌謡大賞の5つの授賞式で大賞を受賞しました。ただし、その年最後の授賞式だったMBC「10大歌手歌謡祭」ではイ・スヨンに大賞を譲り、地上波3社すべてを制覇するところまでは惜しくも届きませんでした。アルバムは2003年の1年間で14万枚あまりを売り上げて年間15位に入り、この年の韓国では「イ・ヒョリ・シンドローム」という言葉が通用しました。
言葉で説明するより、一度ご覧いただくほうが早いと思います。2003年の舞台です。
グループ時代よりソロのほうが大きくなった最初の例であり、「ガールグループのメンバーは、グループが終わったらどうなるのか」という問いに、ひとつの答えが生まれた瞬間でもありました。K-POPの世代の流れ全体については K-POPの「世代」って何? にまとめてあります。
⑥ その後 — 妖精たちはどこへ行ったのか
この問いへの答えは、実は8人がそれぞれ別の形で出しました。
オク・ジュヒョンはミュージカルへ向かいました。2005年、エルトン・ジョンが作曲した「アイーダ」のタイトルロールでデビューして25万人を動員し、その年の韓国ミュージカル大賞で新人女優賞を受賞します。その後「シカゴ」「キャッツ」を経て、2012年には「エリザベート」のタイトルロール、2013年には「レベッカ」で初の悪役まで務め、韓国ミュージカル界を代表する俳優になりました。アイドル出身がミュージカルの舞台でここまでの位置に行ったのは、それまでにないことでした。
ちなみにその道を先に開いておいたのは、S.E.S.のパダでした。2003年の創作ミュージカル「ペパーミント」への出演を皮切りに、2007年の「テル・ミー・オン・ア・サンデー」から本格的に商業ミュージカルの舞台で活動しています。ガールグループ出身がミュージカルへ行くという発想自体が耳慣れなかった時代の話です。
ソン・ユリとイ・ジンは演技へ向かいました。ソン・ユリは「천년지애(千年之愛)」「어느 멋진 날(ある素敵な日)」「눈의 여왕(雪の女王)」「쾌도 홍길동(快刀ホン・ギルドン)」などに出演し、俳優として定着します。イ・ジンも複数のドラマで活動したのち、2016年に結婚してアメリカ・ニューヨークで暮らしており、芸能活動からは事実上退いています。S.E.S.のユジンも俳優に転向して作品を重ね、「펜트하우스(ペントハウス)」の成功でキャリアがもう一段大きくなりました。
そしてイ・ヒョリは、頂点で方向を変えました。2013年に結婚したあと、済州島(チェジュド)の涯月邑ソギルリに家を建てて移り住み、「소길댁(ソギルテク/ソギルの奥さん)」と呼ばれるようになります。2017年と2018年にはJTBC「효리네 민박(ヒョリの民宿)」で、自分の家を民宿として開いて客を迎える姿を見せました。シーズン1にはIU、シーズン2には少女時代のユナがスタッフとして参加しています。いちばん華やかだった人がいちばん静かな暮らしを選ぶ、という図が、この番組の人気の大きな部分でした。
再び集まった瞬間もあります。S.E.S.は2017年、デビュー20周年を迎えて14年ぶりに再結成しました。1月2日にスペシャルアルバム「Remember」を公開し、年末には単独コンサートも開いています。20年前の3人がそのまま歳を重ねて同じ画面に立っている、という時点でもう十分に見どころのある映像です。
Fin.K.Lは2019年夏、JTBC「캠핑클럽(キャンピングクラブ)」で14年ぶりに4人が再会します。キャンピングカーで全国を回る番組でしたが、締めくくりは舞台でした。デビュー21周年を記念して、招待した100人のファンの前で「영원한 사랑(永遠の愛)」「블루 레인(ブルーレイン)」「내 남자친구에게(私の彼氏へ)」「루비(ルビー)」を歌っています。大規模なコンサートではなく100人規模の公演だったことが、かえってこの舞台を特別なものにしました。そして同年9月22日には、14年ぶりの新曲「남아있는 노래처럼(残っている歌のように)」をデジタルシングルとして発表しています。

まとめ:いま当たり前のことは、全部この2組が最初に通った道
いまK-POPのガールグループを好きな方が当たり前だと思っていること — 日本で活動すること、ライバル構図が話題になること、グループが終わったあともメンバーがそれぞれの場所で生き続けること — は、すべてこの2組が最初に通った道です。
もし「10 Minutes」を聴いたことがなければ、今日いちど探して聴いてみてください。2003年の曲なのに、驚くほど今のものに聞こえます。

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