ソテジワアイドゥル(서태지와 아이들)とは?韓国歌謡界を一夜でひっくり返した”K-POPの原点”

BTSも、BLACKPINKも、今のK-POPシステムも――そのルーツをたどると、必ずひとつのグループに行き着きます。1992年にデビューした서태지와 아이들(ソテジワアイドゥル=「ソテジと仲間たち」。ソ・テジ、ヤン・ヒョンソク、イ・ジュノの3人組)です。活動期間はわずか4年。それでも韓国では「歌謡界はソテジ以前とソテジ以後に分かれる」という言葉が今も通用します。

日本の読者にはなじみの薄い名前かもしれませんが、今のK-POPを理解するうえで、これほど重要な名前はありません。ソウル在住の筆者が、その革命の中身を整理してみます。

審査員の点数は7.8点――伝説になったデビューステージ

1992年4月11日、MBCの新人紹介番組「特ダネTV演芸」。当時の韓国歌謡界の主流は、スーツを着てマイクの前に行儀よく立って歌うバラードや「成人歌謡」でした。そのステージに、帽子を目深にかぶった3人の若者が現れ、ラップと激しいダンスが入り混じった「난 알아요(ナン アラヨ=僕は知っている)」を披露します。審査員がつけた点数は、歴代最低レベルの7.8点でした。

ところが、その放送直後から韓国歌謡界はまるごとひっくり返ります。アルバムはシンドローム的に売れ、10代は熱狂しました。もちろんそれ以前にも踊る歌手(キム・ワンソン、パク・ナムジョン、消防車など)はいました。しかし、ラップ・ダンス・ロックをひとつに束ねて「10代の音楽」を正面から掲げた衝撃は次元が違い、韓国の歌謡でラップを大衆化させた立役者がまさに彼らです。

1992年のデビューステージ「난 알아요」(MBC公式アーカイブ「옛송TV」より)

アルバムごとに音楽もファッションも丸ごと変える

彼らのもうひとつの発明が「コンセプトチェンジ」です。1集はニュージャックスウィング、2集は韓国の伝統音楽とロックを混ぜた「하여가(ハヨガ)」、3集は社会批判(「교실 이데아(キョシル イデア=教室イデア)」など)、4集はギャングスタラップ(「Come Back Home」)とオルタナティブ――アルバムごとにジャンルを塗り替え、ファッションも毎回それに合わせて丸ごと変えました。彼らが着た服は翌日から全国で流行しました(スノーボードウェアの流行が代表例)。「アルバム=ひとつのコンセプト」という、今のK-POPアイドルの基本文法はここから始まります。

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「休息期」を発明した歌手、そしてメディアの逆襲

ビジネスの観点で最も革命的だったのは、活動方式です。当時はメディアがテレビと新聞くらいしかなく、放送局のPDと記者の権力は絶対的でした。歌手は彼らの言うことに従い、休みなしで「回される」のが普通だった時代。ソテジワアイドゥルはこの構造を拒否します。アルバム活動が終わると公式に活動中断を宣言し、次のアルバムを作る「休息期」を韓国で初めて導入。しかもそれで人気が落ちるどころか、むしろ膨らむという「文化権力」を持った初めての歌手でした。テレビ出演も自分たちで選ぶ。アーティスト主導の活動の、事実上最初のケースです。

当然、既存メディアとの緊張も大きく、根拠の怪しい叩かれ方もかなりされました。代表的なのが1994年の「教室イデア」逆再生騒動です。「この曲を逆再生すると『血が足りない』という悪魔のメッセージが聞こえる」という怪談が全国の中高生に広がり、驚くべきことに地上波のメインニュース(MBCニュースデスク)まで報道して社会騒動に発展。専門家が「意図性なし」と結論づけても騒ぎは収まらず、結局3集の活動を予定より早く切り上げることになりました。

記者会見で話すソ・テジ
記者会見でのソ・テジ(2014年)。Photo: ACROFAN, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

国の検閲制度まで倒してしまう

文化権力の頂点を見せた事件が「시대유감(シデユガム=時代遺憾)」です。当時の韓国には、国の機関(公演倫理委員会)がレコードの歌詞を発売前に審査する「事前審議制度」がありました。4集収録予定だったこの曲が「社会を否定的に描いた」として引っかかると、ソテジは歌詞を直す代わりに、歌詞を丸ごと抜いてインスト曲として収録するという強硬手段で抵抗します。これが社会的な論争に火をつけ――1996年6月、数十年続いたレコードの事前審議制は廃止されました。廃止を記念して「時代遺憾」は歌詞を復活させたシングルとして再発売。歌手ひとチームが国の検閲制度を倒した、韓国大衆音楽史の象徴的な場面です。

「時代遺憾」2024リマスター版(ソテジ公式チャンネルより)

盗作論争もあった、それでも

公平に言えば、盗作論争も多くついて回ったチームです。最も有名なのが「Come Back Home」(1995)と、アメリカのヒップホップグループCypress Hillの「Insane in the Brain」(1993)の類似性論争。唱法やフロウが似ているという指摘が発売直後から相次ぎ、曲だけでなくダンスやパフォーマンスのスタイルまで似ているという指摘もありました。ソテジ側は「曲をCypress Hillに直接送って確認してもらう」と盗作を否定し、2014年にはCypress HillのB-Realが「あの論争は覚えている。うちはクールに流した」と答えています。法的に盗作が成立したことはありませんが、類似性の議論自体は今も語り草です。下に2曲の公式映像を並べたので、ぜひ聴き比べてみてください。

서태지와 아이들「Come Back Home」(ソテジ公式チャンネルより)
Cypress Hill「Insane in the Brain」(Cypress Hill公式チャンネルより)
ダンス・スタイルの類似点をまとめたファン制作の比較映像

それでも――ラップの大衆化、コンセプトチェンジ、休息期とアーティスト主導の活動、検閲廃止まで。彼らが韓国歌謡界に刻んだものは否定しようがありません。1996年1月、突然の引退宣言でわずか4年で表舞台を去りますが、話はそこで終わりません。

メンバーのヤン・ヒョンソクは、もともと歌手ではなくソウルで名の知れた「ダンサー」でした。当時の韓国では有名バックダンサーが歌手デビューするのはよくある話で(イ・ジュノも、ヒョン・ジニョンも、DEUXの2人もそうでした)、彼もその道の上にいた人です。ここでひとつの「もしも」を想像できます。もしソテジが彼を誘わなかったら? 有名ダンサーのまま終わったか、別のチームでデビューしてここまでの成功はなかったかもしれません。少なくとも、のちに会社を興せるほどの資金と名声は得られなかった可能性が高いでしょう。

しかし現実の彼はソテジワアイドゥルのメンバーになり、グループ解散直後の1996年に立ち上げた会社が、のちのYGエンターテインメントになります。BIGBANG、2NE1、そしてBLACKPINK――今、世界を舞台に活躍する彼らは、その会社から生まれました。つまり、こう言えるかもしれません。ソテジワアイドゥルというチームの存在が、今のK-POPの一角(YG)を作り出したのかもしれない、と。ひとつのグループの結成が、30年後の地図まで変えたわけです。

2014年のソ・テジのカムバックステージ
2014年、ソロとしてカムバック公演を行うソ・テジのステージ。Photo: ACROFAN, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

コンセプトと世界観、活動期と休息期、アーティストが主導する音楽――今のK-POPの「当たり前」は、30年前にこの3人が戦って手に入れたものです。BLACKPINKを知っている人なら、そのルーツにあるソテジワアイドゥルから聴いてみてください。

フィードバック

  1. […] 前回の記事では、「K-POPの原点」としてソテジワアイドゥル(서태지와 아이들)を紹介しました。今回はその続き――「韓国ヒップホップの原点」の話です。1993年にデビューした2人組、DEUX(デュース)。音楽を作ったイ・ヒョンドと、ステージの華だったキム・ソンジェ。活動期間はわずか2年余りですが、韓国ヒップホップの歴史は事実上ここから始まったと言っても過言ではありません。 […]

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